木漏れ日の下で

ピアニスト 末永匡 オフィシャルブログ

Suenaga Class Concert Matinee 2018を終えて

一人一人の個性が光ったかけがえのない時間。


先日、初めての発表会を終えました。


4時間半という長時間のコンサート。


応援のために駆けつけてくださった多くのお客様。それは予想をはるかに超える人数で、ホールの中は熱気に溢れていました。


この日に向けて不安とかそういうものは一切なく、むしろ音楽祭が始まるんじゃないかくらいの興奮を数日前から感じていました。


この松明堂の中は古い教会の様。


小さな古いタイプのベヒシュタインピアノがあります。


一人一人書いていたらきりがないけれど、何よりも嬉しかったのは出演者一人一人がそれぞれの世界を創っていたということ。


とある1人の生徒がベートーヴェンの31番のピアノソナタを演奏。


音を終えた途端、盛大な拍手と涙とブラボーが飛び交う。


楽屋にはみんなが駆けつけ、止まらぬ涙、そして言葉にならない気持ちを言葉にしようとする。


彼女の音楽には「僕が音楽で最も大切にしている全てが含まれている」と言っても過言ではない。


彼女の演奏、音楽に向かう姿勢から色々なものを感じ取ってほしいと密かに思っています。


「写真は苦手よ」と言って終演直後早々と帰宅してしまった。


そんな彼女と僕はもともと同門。孫と祖母のような関係だけれど、彼女の音楽への学びと情熱は消えることがなく、さらに膨らんできている。


「次はバッハのゴールドベルクをやりたいの」


早速次回のレッスンが楽しみです。



人にはそれぞれのライフスタイルがある。


その中で音楽をどういう関係でいるか、それは人それぞれ。


しかし、道端に咲いている一輪の花に「きれいだな」と思う心は皆共通して持っている。


表現をすることはどういう人でもできること。これが音楽の本質。


最後のスピーチでも話したけれど、誰もが僕のところにレッスンを受けれるというわけではない。こんな書き方をして「?」と思われる方もいると思うけれど、レッスンを受講するにはそれなりの条件がある。


それは「音楽を愛し、前向きに取り組まれる方、純粋に興味を持ち、想像(創造)することを子供のように楽しむ」こと。


いたってシンプルなのです。もし、この気持ちをお持ちならいつでもご連絡ください。そのような人となら僕は喜んで出会いたいし、どこへでも行きます。


当てはまらなければ僕らは出会わない方がいい。


そういう人たちが一人一人自然に集まってできた今のクラス。


音楽は音楽を専門的に勉強する人のためだけのものではない。万人のためのもの。


だからこそ互いに学び、互いに教え合うことができる。


「上達する」ことは簡単なことじゃない。それは想像を超える苦しさがある。乗り越えなければ上達はない。けれどその時、あなたは一人だと思ってはいけない。苦しんでいる仲間は周りにいる。その一人が僕。


一人一人が必ず訪れる困難と戦っている。


自分の音楽を見つけること。


大人数での打ち上げは最高潮に盛り上がり、出演者だけでなく応援に駆けつけてくれた友人達も、家族も子供もみんな一緒に。


話し足りない感じでお開きに。続きはまた来年、ということでこの一枚。


この日からすでに2日経っていますが、すでに半年くらい前のことのよう。


大阪行きの新幹線の中で一人一人の演奏を振り返り思いに耽るわけです。


スカルラッティ、バッハ、モーツァルトベートーヴェンカッチーニ、シュテックメスト、ショパン、ぺヤチェヴィチ、シューマンブラームスプーランクフォーレドビュッシーチャイコフスキー、グリフェス、ギロックメシアンなどバラエティに富んだ作品。


後援をしていただいたユーロピアノ(株)、素晴らしい音を創ってくださった調律師の野中さん、スタッフとして駆けつけてくれて完璧なサポートをしてくださった音降り注ぐ武蔵ホール副代表理事岡本さん、そして応援のため駆けつけてくれた沢山の友人たち、素晴らしい音楽を届けてくれた出演者たち、そして家族、全ての関係者に心から感謝申し上げます。



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