室内楽をするといつも思わされるのが「自分の限定された視野」。
そうはならないように努めていても気がつけば自分の視野という”限定された範囲”を作ってしまっている。
不思議だよね。作品に対して「これでもか」っていうくらい色々なことを感じて考えて向き合っているのに、室内楽をすることでその世界は終わりを見せず、寧ろさらに広がり続けていく。
100人いれば100通りの見方や感じ方があるというのは今更感な言葉。どんな本にも載っているし、どこでもでも耳にする。このブログを読んでくれた方にとっても新しいことでもなんでもないはず。
でもね、そんなわかりきったことでも新たな価値観に遭遇すると、その世界の広がるさまに驚いてしまう。
その新たな価値観に対する驚きは、作品を自分で見つめれば見つめているほど、その濃度が濃ければ濃いほど大きくなる。
「あー、なるほどなぁ!お面白いねそれ!」って。
それは自分の世界を一層広げてくれる。
…けれど、昔の自分はそう簡単にこうは思えなかったのも事実。衝突を繰り返し1人で鬱々としていた。思い描く理想ばかりに目が行き、その通りにならないことに苛立ち、思ったようにいかない自分とも向き合えず。理屈ではわかっていても心の底からは受け入れることができなった。
当たり前のことが当たり前のようになるまでどれくらいの時間を要しただろう…
僕の場合は少なくとも15年以上は必要だったんじゃないかな。「受け入れること」…これは特別なことでもなく、当たり前のことなんだけど。
自分の気づかぬ、自分とは違う価値観と出会ったら「感謝」しかないんです。