木漏れ日の下で

ピアニスト 末永匡 オフィシャルブログ

音大という枠を超えて

東工大での講義

《アートの視点がこれからの医学教育を変える?対話型鑑賞で鍛える「みる」力》


以前お世話になっていた東工大での講義は正にこれでした。こんなにちゃんと言語化できていなかったけれど。僕が最も苦しく悩んだ講義だった。ある日突然「うちの大学で講義をお願いできないか」と誘われ、試行錯誤を繰り返した数年。ピアノを使い、即興を軸に進める講義。そこにいた学生のほとんどが音楽理論なんて知らないし、ピアノを弾けるわけでもない。それでも音を通してアートについて考え、感じ、自己との対話し続けました。最後の講義では、十数人で一人一音を即興で繋いで作品を創る、だったなぁ。


「この時間があなたたちの人生にどのように役立つかはわかりません」なんてシラバスに書いたっけ(笑)「なんでこの講義を受けに来たの?」と聞くと「シラバスに書いていることが一番わけわからないから」「日々の研究から逃れたい」など。最高じゃないか、東工大生。


困惑する学生、やめて出ていく学生、じっと考え込む学生、講義を終えても3時間ぐらい講義の続きを立ち話する学生(おかげで帰宅がいつもかなり遅くなったよ)、全てを恋愛に例えて答えるロマンチックな学生、全てが懐かしい。レポートを白紙で出したその紙を講義終了後ずっと見つめてはその白紙の上に100万の言葉を感じたけれど。


アート×人間には無限の可能性が秘められている。面白い、興味深い。音大ではこういう講義をまず見ないけれど、僕は好きなんだよね、こういうことを考え、試みていく時間が。