木漏れ日の下で

ピアニスト 末永匡 オフィシャルブログ

作曲してみる ~ブルグミュラー中篇終了~


末永「文を普通に読むのが難しい」


加藤「作曲すること」


こんな話から始まったブルグミュラークラスシリーズ2《中篇》。特に加藤君の話は、その場の空気に緊張感を与えました。しかし、それだけでなく「音に対する思い」のような温かなものも投げかけてくれたようにも感じました。


終了後に残る、ある種の到達感がとても印象的だった今回のセミナー。これまで見て、感じてきたものが融合し一つの大きな形となり辿り着いた瞬間を受講者の皆さんと共有しました。


ブルグミュラーの25の練習曲という、一般的には多くの子供たちが演奏するこの曲集。


「おいおい、こじつけじゃないのか?」「そんな細かく考える必要あるの?」なんて思われてしまうかもしれないけれど、加藤君の言葉を聞くとそれらの思いが間違っていることに気づかされるでしょう。(いやいや、こじつけで結構、とも言えます笑)決して大袈裟な見方ではないのです。寧ろ気持ちを律して、驕ることのない真摯なまなざしで楽譜をみる、そんな気持ちに。(もちろん気持ちが窮屈になってはいけませんが)


ブルグミュラーのような曲が書けるのか?


と、自分自身に問いてみたり。僕にはできない。しかし作曲を試みることはとても大切です。加藤君を前に恐縮ですが、僕自身の作曲、編曲、写譜の経験などもいろいろお話させていただきました。


「何時間も五線譜を前にして何も書けないこともあれば、短時間で多くを書くこともある。けれど僕らはそれでも前に座らなければならない。」と加藤くん。


生みの苦しみ。


とある作家が「ゼロからモノを生み出すことの難しさ」とエッセイに書いていたのを思い出します。


25の練習曲という子供たちが好んで弾くこの作品に僕らは何を見出すことが出来るのでしょうか?どのような感じでブルグミュラーが筆を進めていたかわかりません。しかし見えてくるものがあまりにも多い。それを一度でも知り、感じてしまうと分析はそう簡単にさっさと進めていくことはできないのです。無理です。


今回は特に12番を通してこの曲集における一つの大きな変化に気づかされました。また、作品の前後の関係性においても12番というはこれまでとは少しレベルが違います。


時間をオーバーして、受講者の方々といろんな言葉も交わしました。また一つ一つ丁寧につづられた感想もいただき、とても勇気をもらいました。


「是非最後まで勉強させてほしい!」という共通の感想には奮い立たされます。


ただ、12番、13番でみた音景色を思うと絶対的にこれまでと同じようには進めません。なので次回からはシリーズを廃止し、単発で焦らずじっくりと温かく進めていきたいと思います。特にブルグミュラーはそう感じました。


今後については改めてお知らせいたします。


さて、来週の月曜日から新たなシリーズが始まります!ベートーヴェンの悲愴第2楽章。分析と表現も次回は21回目となります。とても楽しみです!