木漏れ日の下で

ピアニスト 末永匡 オフィシャルブログ

都民芸術フェスティバル2015でのベヒシュタインピアノとベートーヴェンについて

演奏直後
東京都交響楽団コンサートマスター矢部達哉氏と
指揮者レオシュ・スワロフスキー氏と

【感謝】

この言葉以上に、レオシュ・スワロフスキー氏、東京都交響楽団はじめ、今回お世話になった方々への気持ちを伝えることが出来るでしょうか。そして、その日に限って天候も悪かったのにも関わらず多くのお客様に恵まれたこと、終演後たくさんの温かい拍手とお言葉を頂戴したことに心から深く感謝申し上げます。


東京都交響楽団の素晴らしさはもちろん前から知っていました。コンサートにも何度も行かせて頂きました。しかし「共演」という立場になって、その素晴らしさは何倍も大きいものとして体感させられました。そもそもオーケストラについての感想を書くなんて僭越ではありますが、しかし東京都交響楽団の奏でる余りにも素晴らしい音色と音楽だからこそ、さらに少しでも多くの方々に知ってもらいたいと思うのです。

今回初共演となったスワロフスキー氏は懐が深くて温かく、とても情熱的な音楽家です。前日のリハーサル開始前の打ち合わせで初めてお会いしましたが、直ぐに両腕を開いて受け入れてくれました。とても嬉しかったです。また、マエストロの素晴らしく、そして情熱的なタクトは音楽を「造形」しているかの様でもあり、演奏中のあの興奮が体の奥に未だに残っています。マエストロは普通にドイツ語も話されるので、個人的には音楽についてをドイツ語で話すことに格別の喜びがあります。しかもベートーヴェンとなれば・・・最高です。

素晴らしい指揮者とオーケストラと共演させて頂くことは、ピアニストにとってこんなに光栄なことはありません。お客様へだけでなく、僕にも多くの感動を与えて下さり、同時にたくさんの"気づき"もあり勉強させて頂きました。「音楽って素晴らしい」と素直に思います。心の底から湧き上がる感動によって勇気をもらいます。「今生きているんだ」と強く感じます。それらが音楽のチカラであり魅力なのかと。消える事のない心からの感謝を胸に・・・

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【ピアノについて】

さて、この件に関してはしっかりと腰を据えて書きたかった。当日、多くの方々が「いつもと違う」不思議な響きを体験されたかと思う。コンサートを終えまだ2日ほどしか経っていないが、それでもピアノについてのメッセージをたくさん頂戴する。

Beethoven Klavierkonzert Nr.5

まず、ピアノについて書く前に、僕がなぜベヒシュタインピアノを選んだかを記したい。今回のコンサートでベートーヴェン「皇帝」は3回目となる。このお話を頂いた時「(自分の中で)今までにない音楽的アプローチをしてみたい」とすぐに思った。普段の活動で「ピアノに関するさまざまなレクチャーコンサート」もしているので、メーカーにおける特徴と音楽の関係性を考えた。音色のパレットが豊富であり、コンチェルトとしてオケに対当するパワーを持ち、煌びやかさもありながらもどこか内的なぬくもりを有しているピアノ。奇をてらうのではなく、あくまでも「音楽性にマッチ」するもの。そして「オーケストラ対ピアノ」になるのではなく、華やかさがありつつも「室内楽的な親密性と響きの融合」を欲しかった。さまざまなメーカーがあるが、そこで思いついたのがベヒシュタインと言うドイツのピアノである。創業はスタインウェイと同時期だったかと。ビューロー、リスト、ドビュッシーシュナーベル、ケンプ、ゼルキンリヒテルなど他、錚々たる歴史上の巨匠たちが愛したピアノだ。 最近で言えば、シフやリフシッツ、エルバシャなどが愛用している。

日本のコンサートホールはほとんどがスタインウェイが入っている。コンサートで聴く音色は、ソロ、室内楽、コンチェルトであれスタインウェイの音色を聴くことが大多数であろう。そんな日本の音楽環境の中、この都民芸術フェスティバルという大きなイベントでベヒシュタインの音色を披露するのはある種の「挑戦」だった。今回使用した「D282」というタイプは(欧米など海外ではすでにコンチェルトで普通に使用されているが)日本のコンチェルト史上まだ誰も弾いていなく今回が初披露だった。だからコンチェルトでの響きがどうなるか誰もわからない。なので、普段聴きなれているスタインウェイとはまた違った音色、響きを感じられたのではないかと思う。楽器を変えることにより見えてくる楽曲の多様な側面を味わうのも個人的には興味深いところである。


~ベヒシュタインピアノとは一体どういうピアノなのか?~

打鍵約10mm中の奇跡

特に印象的なのは①「透明度の高いクリアな響き」②「音の減衰」③「弱音」④「音色の豊かさ」ではないだろうか。①に関しては、これは響板での振動のさせ方に構造上ある工夫が(もちろん響板だけでなく他にも様々な工夫がある)深く関与している。一つ一つの音色がクリアに残り響き方も違うからこそ、音が連続したり重なったりする時に創り上げられる響きの具合が変化する。バッハの様なポリフォニーで書かれた各ラインが聴きとりやすくなるのも、その特徴の影響の一つと言える。スタインウェイの持っている一音一音の肉付きとは全く違う。また、異なった和音がペダルや空間残響時間の影響で重なり合う時、透明度の高い響きのグラデーションが発生する。重なりにおける透明度とは、その和音が「その和音として残り続け」残響によりそれぞれの和音の姿が見えなくなるということが起きにくいことを意味している。関係する特徴として②「音の減衰」が挙げられる。ベヒシュタインピアノは音の立ち上がりは速く、その分輪郭が聴こえやすい。同時に音の減衰が早い。これは上記にある通り、空間に描かれる響きの色彩が混ざり続けない原因の一つである。ペダルを多少長く踏んで和声が変わっていったところでクリアな音色も手伝い「濁り」が発生しにくい。例えば、黄色と緑を混ぜた時に、黄緑にもなるが、そこには黄色も緑もそのまま存在しているのが見える、そんな感じだ。ベートーヴェンの月光の一楽章はあの雰囲気を出しやすいかもしれない。

響きを確認して下さいってる調律師の加藤さん

~唯一無二の特徴~

スタインウェイ、それは世界最高峰のピアノの一つである。多くの魅力に溢れているが、それでも華やかさ、力強さ、その重厚な響き、それらがグッ!と拡がる感じ、壮大な響きが残り続けるところはスタインウェイの唯一無二である素晴らしい特徴の一つと言える。ではベヒシュタインはどうか?それは③「弱音」の持っている音色の豊かさ、繊細さであり、唯一無二であると断言できる。まるで今から約7百年程前に生まれたクラヴィコードのようだ。mf、p、pp、pppなど、弱音に向かった時の音色の世界は完全なる個性的な響きの世界を築き上げている。両者、弱音は綺麗に鳴るが、その方向性は全く違うものだ。

東京芸術劇場コンサートホール
他にも様々な特徴を持ってる。これまでのベヒシュタインは高音域の性格的主張が控えめだった。しかし今回使用した最新モデルD282は高音域における「懐かしさを帯びる金属のような煌めき」を生んでいる。個人的には昔のフォルテピアノ(今のピアノの前身)を想像させる。そして④「音色の豊かさ」も興味深い。その音色のパレットは「音域における明確な音色の違い」となって現れている。これは、フォルテピアノからモダンピアノに変化していく際、様々な音色を要求されてきたものでもある。要するに他の楽器と協調しやすく混じりやすい。(便宜的に三部に分けるが)低音域、中音域、高音域は違う音色に鳴るよう意図的に「作られている」。均一化が計られていない。

要するにベヒシュタインピアノが今もなお大切にしている特徴は「鍵盤楽器の歴史によって培われてきた伝統を、今のように巨大化されたモダンピアノになってもそれを活かそうとしている」ことなのである。

そのようなピアノでベートーヴェンのピアノコンチェルトを演奏すると「良い意味」で普段我々がいかにスタインウェイ慣れしているか感じられる。演奏していてもそれを強く感じる。スタインウェイも非の打ちどころのない素晴らしさがあるが、ピアノが変わるだけで作品は全然違った音楽的姿を映し出すところがこれまた非常に面白い。スタインウェイもベヒシュタインも明確なキャラクターを有しているがその方向性は全く違うものである。

~今回のプログラムがベートーヴェンでなかったどんなピアノを使用していただろうか?~

僕は各ピアノメーカーには心から尊敬の念を抱いている。スタインウェイだって心から愛してる。ラフマニノフを演奏する機会があれば製造年も考慮しスタインウェイで弾いてみたいとも心から思う。素敵なシューベルトの作品をザウターで演奏してみたいとも・・・。逆にこのピアノだったら何を弾こうかとも考える。カワイだったら?ファツィオリだったら?ヤマハは?プレイエルは?などと。他にも本当にたくさんのメーカーが(日本を含め)世界には存在し、それぞれの個性が脈々と生きている。ピアノはメーカーだけでなく、それだけでは区分出来ない一台一台の「声」を持っている。人と同じように。それらと音楽性の関係性を考える事はとても心躍ることであり、音楽芸術を深める大切な一端を担っている。「あの作曲家のあの作品ではこのメーカーで弾いてみたい、あのピアノではあの作曲家のあの作品を」と思うのである。このブログ記事で問題提起をする気は毛頭ないが、それでも、ピアニストとしてコンサート会場でのメーカーの選択肢がもう少し拡がればいいなぁと思ってしまうのである。それがどれだけ様々な創造性を生み出し、心や気持ちを豊かにさせ「音楽を耳にする全ての人たちにとって」躍動感あふれる幸せに繋がっているか、疑いの余地はない。

リハーサル
お客様の中でこのようなコメントを残された方がいた。「弦楽器の場合は楽器の紹介(何年の何を使用)のようなものがプログラムに記載されている場合が多いが、なぜピアノはないのか?」と。これはとても興味深い指摘である。「楽器と演奏者と音楽作品の関係」をもう少し前面に出していいかもしれない。

5年前、僕は同じ場所でベートーヴェンの皇帝を「スタインウェイ」で演奏した。そして今回のフェスティバルで「ベヒシュタイン」を使用した。「二つの異なるピアノで皇帝を演奏できたこと」を誇りに思う。そしてベヒシュタインピアノ使用にあたり、ホールにピアノを持ち込むことは決して容易ではないのにも関わらず、このために楽器をご提供して下さったユーロピアノ株式会社、使用へ快くご理解頂いた主催の日本演奏連盟、共演にあたり感動的な音楽的アプローチを持ってピアノを支えて下さった東京都交響楽団、スワロフスキー氏はじめ全ての関係者の皆様に心から感謝申し上げたい。

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・・・申し訳ありません、長くなってしまいました。ピアノや音楽ついて書くと止まらなくなってしまいます。これは、音楽を愛するただ一人の人間が思うことであり、それぞれ違った感覚を、時として全く違った印象を持たれることも普通にあります。だから面白いのです。多様性。

皆様とはまたどこかでお会いできますことを願いつつ、これから先も温かな目でご支援頂けましたら幸いです。本当にありがとうございました!