木漏れ日の下で

ピアニスト 末永匡 オフィシャルブログ

全ては時間のかかること

昨日のリハーサルは明後日に控えている、九州は大分にあるAPU大学での公演に向けて。


クラシック音楽日舞、ジャズダンスのコラボレーション。二つとも身体を動かすものだけど、手先一つに違う空気を纏っている。その繊細な感覚言語を持った"意図"は”糸"となり、音楽と融合しては多様な対話を生み出していく。想像しにくいかもしれないけど、一つのまとまりとして成立しています。本番は全く違う姿を表すんだろうなぁ。


過半数が留学生を占めるAPU大学に、この多様性を打ち出すコラボレーションは、ある意味共通ワードなのかもしれない。「知ること、それが始まり(某ドキュメンタリー映画のタイトルより)」「違いを理解し、受け入れる」という言葉は個人的にとても大切に思っていて、その考えはピアニストとして、教育者としての活動の根底に流れているものです。


国・地域別学生数(APU大学HPより)


アートというものに表面的には価値を認めているけれど、それを実際「提供、提案」するまでのアクションを起こすところは、僕の経験上限りなく少ない。感覚的、精神的なものはモノとしては残らないけれど「体験、体感」は必ず心の中に残る。それが心地よいものか、異物のようなものであるか、それがどちらであれ。


心に残ったものは人生と共に歩み、その時々に自己へ問いかける種となる。問いかけ、考えること自体が成長への大切な糧。それがどのように発芽するかはその時になってみないとわからないけれど、種をまかなければ芽は出ない。今日、何でも答えをすぐに得ようとする社会を色々なシーンで感じるけれど、そうある必要はなく、そうあってはいけないと思うシーンも多々あります。一つ言えることは人の成長には時間がかかるもの。それはピアノも一緒。時間をかけて音に耳を傾け、時間をかけて心と対峙すること。焦らないで。音楽に限らず全ては時間がかかるものだしジャンルを問わずアートを体験することが人生の糧となりうる大切な種となるわけです。素敵な花を咲かせたい。


便利なモノではないけれど、そのようなことに理解を示し、行動に移してくださったAPU大学に心から感謝申し上げます。


一つ困ったことは、時々演奏中にも関わらずお二方の動きに見とれてしまう末永がいるということです。ふぅ~、あぶないあぶない。