木漏れ日の下で

ピアニスト 末永匡 オフィシャルブログ

「分析と表現」全4回終了


昨日、「分析と表現」ベートーヴェンクラスシリーズ1(全4回)を終えました。


たくさんの感想をありがとうございます。その中にあった「まるで一人一人に問いかけているような…」という言葉。正に僕らがセミナーで大切にしていることです。答えを他者に求めるように聴いて、それを書き留めることではない。これだけでは単なる思考停止。


大切なのは「考え」「自身で導き出す」こと。


以前、バロック音楽に関する本を購入した時、その本の感想に「いろんなことを提示しているけれど、結局何が言いたいのかわからない」というのがありました。実際に読んでみると確かに「こうだ」「であるべき」的な明確な答えはない。しかしそこには豊かな情報が多角的に提示されとても考えさせられました。明確な解がないからこそ、その本は僕にバロック音楽についてさらに一歩深く、柔軟に考える必要があることを示してくれた、と言えます。最終的には「自分がどうしたいのか」「自分自身に問う」ということ。今は亡き恩師が僕に問い続けたもの。「タダシはどう思う?」「タダシはどう感じる?」「タダシはどう弾きたい?」レッスンが懐かしいです。


楽曲分析とは「時と共に変化、進化する」という面白さもあります。勿論、ベースとして変わらないことは多くあります。しかし僕らの感情に訴えかけてくるところは変化します。すると先日とはまた違って楽譜が見えてくるのです。


今回のシリーズを思い返すと、毎回日本全国から多くの方々がご参加くださり、全回満枠になるとは正直思っていませんでした。今、このような状況になって改めて「学ぶ」ということを考えさせられます。


一つ確実に言えることは「学びは心を豊かにしてくれる」ということ。これは事実です。


さて、昨日の内容では再現部を言葉の通り「再現と思ってしまう危険性」を僕らは深く感じることができました。加藤先生が「分析と言うとすぐに和声学、楽式論的な話になる」という言葉はある種の鋭さをもっていました。正にその通りで「分析とは構造的な知識だけではなく、表現をも含む"心の反応そのもの"」なのです。2度の移動を単なる2度と思うのか、その間に何があるかを問うのか、そこが一歩先に進めるか進めないかの心構えの違いとも言えます。小さな変化に大きな価値を。そうすることで小さな変化は大きな変化となり意味が生まれる。命が与えられる。カラヤンの「その4つの音に命を宿して」という言葉を思い出します。タイトルの「分析と表現」は本来ならば分けて考えられるものではないのです。


「1楽章だけに4回も」と、回数に当初驚かれた方もいらっしゃったようですが、最終的にはじっくりと深く丁寧に進むことを嬉しく感じて頂けたようです。これは僕らがシリーズ化させる前に6回ほど実験的に行った結果です。


「じっくり取り組むこと」


これまでの生活の流れを思うと「じっくり」というのは「よほど意識しなければ」できないことかもしれません。もちろん今の状況は一刻も早く終息してほしい。そんな中、新たな時間感覚が与えられたわけですが、この部分だけを思えばそれ自体は悲観的ではなく、むしろ「よいきっかけ」として利用したい、そういう気持ちです。ヨーロッパは時間がゆっくり流れる、なんてよく耳にしませんか?否、それは結局個人個人の心の在り方なのです。楽譜を丁寧に見れば見るほど感じるその深淵。そこを探索するには自分自身の心が伴ってなければなりませんね。


最後にこのようなお言葉も。


「遠くに住んでいると普段はなかなか東京まで演奏会やセミナーに行く事が出来ないので、このような企画をして頂き気軽に参加出来るようになった事は本当に有難い」


ケースバイケースでテクノロジーをうまく使っていきたいところです。


長くなりました。


また皆様とお会い(お見え?)できることを楽しみにしています。


心からの感謝を込めて


末永 匡
加藤 真一郎