一か月前のコンサートの打ち上げを一ヶ月後にするわけで、ようやくスケジュールも合い楽しみにしていた日でした。
詳しいことはこちらの記事をご覧下さい↓
「都民芸術フェスティバル2015でのベヒシュタインピアノとベートーヴェンについて」
http://tdsuenaga.blogspot.jp/2015/02/2015.html
これは日本演奏連盟が主催のビッグイベントの一つです。いつもお世話になっている方とようやくコンサート後会う事ができ、打ち上げた、ということです。
終始「音楽業界、大学、オーケストラ、ピアノメーカー」について熱く語り合いました。こう言う時のお酒はとても美味しくいただけるものです。
特に「ピアノ」については深く言葉を交わしました。
あの日の夜、あの場にいた(オーケストラもマエストロも含め)全ての人達がベヒシュタインD282の「皇帝」を初めて耳にしたわけです。(日本のコンサート史上、協奏曲で使用するのは初でした)僕の技量は勿論のこと影響されていましたが、しかしそれだけではないピアノ自体が本来持ち合わせている「音楽」があったはずです。
なぜ日本のほとんどのホールは限られたメーカーしかないのか?
誤解の無いよう伝えたいのは、それらのメーカーは素晴らしいピアノです。世界中に愛され、実績もあり、僕自身、深く心と対話しながら音楽を奏でられる信頼しているピアノメーカーです。
・・・しかし、ピアノはそれだけではない。
あの夜にあった響きは、我々が普段あまりにも聴き慣れている「響き」に対し、想像していたものとは全く違っていたはず。
音楽は多様性に溢れています。ベートーヴェンも様々な作品を書いています。ショパンだってシューマンだって、他の全ての作曲家が素晴らしい多くの作品を残してくれています。しかし日本という土壌ではその広がりを見せていない。見せる事ができない、もしくは見せ難いとも言えます。そして、ピアノメーカーの問題はそれに似ています。
我々音楽家は多種にわたる(メーカーだけでなく年代も含め)楽器の魅力、そして作品など、それら二つをもっと柔軟に社会に受け入れてもらえるよう、そして楽しんでもらえるようにする意識と活動をさらに積極的にしなくてはなりません。
確かに最近はフォルテピアノの魅力も再認識され始め、各種イベントが行われています。それはとても嬉しい動きです。しかし、我々が普段最も身近に接する機会の多いモダンピアノの中にも「様々な差の魅力」が在ることも再認識したいところです。その種のレクチャーやコンサートは行われていますが未だマイノリティだと言えるでしょう。ピアノの世界ではその意識はまだまだ「閉鎖的」です。ホールでは少なくとも5,6種類のピアノから選びたい。そして大学などの音楽教育機関でもその問題を重く捉え、色々なメーカーや年代のピアノに学生達が触れられる機会をもっと増やしてほしいと思います。
世界的ピアニストのアンドラーシュ・シフが興味深いことをインタビューで語っています。「ほとんどのピアニストが(ピアノに)全く興味がない」
(ドイツ語です)
http://www.fr-online.de/musik/andras-schiff-interview--die-meisten-pianisten-sind-ueberhaupt--nicht-neugierig-,1473348,29687996.html
インタビューでは色々と語られていますが、上記にあるのと同じように「ピアノメーカーにおける現状への疑問」が強く投げかけられています。「色んなピアノがあること」「聴く耳が偏っていること」「違いを受け入れられない(選択肢を欲さない)」など。
・・・その日は、「音楽業界の現状」の根底に流れる様々な「事情」についてもゆっくり深く話し合いました。あの日にベヒシュタインで演奏したことは、"そういう意味"で「一石を投じる」気持ちであった、と自分ではそう思っています。
一言一言をゆっくり味わいながら、考えながら語り合うのはいいものです。他にも色んな話題に華が咲きました。明日へ繋がる勇気をもらいました。お酒は結構な量を飲みましたが、夜風が気持ちよく歩いて帰るにはとても心地よかったです。
詳しいことはこちらの記事をご覧下さい↓
「都民芸術フェスティバル2015でのベヒシュタインピアノとベートーヴェンについて」
http://tdsuenaga.blogspot.jp/2015/02/2015.html
これは日本演奏連盟が主催のビッグイベントの一つです。いつもお世話になっている方とようやくコンサート後会う事ができ、打ち上げた、ということです。
終始「音楽業界、大学、オーケストラ、ピアノメーカー」について熱く語り合いました。こう言う時のお酒はとても美味しくいただけるものです。
特に「ピアノ」については深く言葉を交わしました。
あの日の夜、あの場にいた(オーケストラもマエストロも含め)全ての人達がベヒシュタインD282の「皇帝」を初めて耳にしたわけです。(日本のコンサート史上、協奏曲で使用するのは初でした)僕の技量は勿論のこと影響されていましたが、しかしそれだけではないピアノ自体が本来持ち合わせている「音楽」があったはずです。
なぜ日本のほとんどのホールは限られたメーカーしかないのか?
誤解の無いよう伝えたいのは、それらのメーカーは素晴らしいピアノです。世界中に愛され、実績もあり、僕自身、深く心と対話しながら音楽を奏でられる信頼しているピアノメーカーです。
・・・しかし、ピアノはそれだけではない。
あの夜にあった響きは、我々が普段あまりにも聴き慣れている「響き」に対し、想像していたものとは全く違っていたはず。
音楽は多様性に溢れています。ベートーヴェンも様々な作品を書いています。ショパンだってシューマンだって、他の全ての作曲家が素晴らしい多くの作品を残してくれています。しかし日本という土壌ではその広がりを見せていない。見せる事ができない、もしくは見せ難いとも言えます。そして、ピアノメーカーの問題はそれに似ています。
我々音楽家は多種にわたる(メーカーだけでなく年代も含め)楽器の魅力、そして作品など、それら二つをもっと柔軟に社会に受け入れてもらえるよう、そして楽しんでもらえるようにする意識と活動をさらに積極的にしなくてはなりません。
確かに最近はフォルテピアノの魅力も再認識され始め、各種イベントが行われています。それはとても嬉しい動きです。しかし、我々が普段最も身近に接する機会の多いモダンピアノの中にも「様々な差の魅力」が在ることも再認識したいところです。その種のレクチャーやコンサートは行われていますが未だマイノリティだと言えるでしょう。ピアノの世界ではその意識はまだまだ「閉鎖的」です。ホールでは少なくとも5,6種類のピアノから選びたい。そして大学などの音楽教育機関でもその問題を重く捉え、色々なメーカーや年代のピアノに学生達が触れられる機会をもっと増やしてほしいと思います。
世界的ピアニストのアンドラーシュ・シフが興味深いことをインタビューで語っています。「ほとんどのピアニストが(ピアノに)全く興味がない」
(ドイツ語です)
http://www.fr-online.de/musik/andras-schiff-interview--die-meisten-pianisten-sind-ueberhaupt--nicht-neugierig-,1473348,29687996.html
インタビューでは色々と語られていますが、上記にあるのと同じように「ピアノメーカーにおける現状への疑問」が強く投げかけられています。「色んなピアノがあること」「聴く耳が偏っていること」「違いを受け入れられない(選択肢を欲さない)」など。
・・・その日は、「音楽業界の現状」の根底に流れる様々な「事情」についてもゆっくり深く話し合いました。あの日にベヒシュタインで演奏したことは、"そういう意味"で「一石を投じる」気持ちであった、と自分ではそう思っています。
一言一言をゆっくり味わいながら、考えながら語り合うのはいいものです。他にも色んな話題に華が咲きました。明日へ繋がる勇気をもらいました。お酒は結構な量を飲みましたが、夜風が気持ちよく歩いて帰るにはとても心地よかったです。