木漏れ日の下で

ピアニスト 末永匡 オフィシャルブログ

木漏れ日の中で




家族と過ごした2時間。


森に囲まれた静かな場所。


そこに広がる田んぼ、そして古民家。


日差しはまだ強いが、心地よい風が自然の香りを運んでくれる。


収穫の日をじっと待つ。



近くにあった木の下で木漏れ日に包まれる。



横になりながら自然の息吹を感じ、虫取りに一生懸命な子供たちを眺めてみたり。


しかし、来週のコンサートで控えているベートーヴェンは中々頭の中を離れてくれない。困った。頭をとにかく休ませたい。



帰宅後、ピアノに向かい作品57の2楽章の各フレーズを対比させるが、ピントがずれている。心が落ち着いていない。何か、こう、ずっと震え、ざわめている感覚。


ここ数年、楽譜から感じ取るもの、見えるものが多すぎて受け止め切れていない。そしてそれは日に日に膨れ、大きくなっている。


作曲家が残した「楽譜」というもの。


それは、あまりにも、あまりにも重く、深い。


僕を不安にさせる。深淵。


しかし同時に温もりと光も存在する。


沈吟し、徐にピアノに向かう日々。


ベートーヴェンピアノソナタのとある楽章を一つ弾いただけでも、その日は何もできないくらいの疲労感に襲われる。


フランツ・リストベートーヴェンピアノソナタを暗譜していようと必ず楽譜を見ながらレッスンをしていた。それは彼がベートーヴェンに対しての誠実さの証である。」という言葉を思い出す。


楽譜という存在。


今の僕にはそれは一人の「共演者」と言える。


楽譜であり、人である。


それは決して手放すことはできない存在。


僕にとってはベートーヴェンピアノソナタを弾くということはある意味その人(楽譜、作品)との血と肉と精神の交わりであり、同じように傷つき絶望する。そして同じように音楽に救われ安堵する。


木漏れ日は何も癒してはくれない。


こんなに素敵な時間だったのにも関わらず、結局今日もその深淵に僕を引きずり込んだ。