とまぁ、書き始めたところ突然話題を変えるが、最近読んでいるコーヒーの雑誌の記事に、産地名を見せないブラインドテイスティングで豆を選んでいるバイヤーのことがあったのを思い出した。僕はその調律師の方を元々知らなかったが、その仕事ぶり、人柄、結果のみで感じたことはとても「素敵な人」だということ。周りの評価は知らないし、知る必要もない。
ピアニストと調律師の言葉のやり取りは、時にその意思疎通がとても難しい。僕は普段、調律師には感覚的、抽象的な言葉で音のイメージを伝えることが多い。最後の最後まで音を追求したいからこそ妥協せずに言葉のやり取りが必要になる。その場にピアノはその一台しかないわけだし、そのピアノでもって音の世界を表現しなくてはならない。
彼は僕が口にした大小様々な言葉を耳にしながら同時に手のひらサイズのメモ帳にそれを記していく。そして当日演奏される曲の楽譜をも持参し、僕の音楽的な会話に耳を傾ける。様々な情報から作り出したい音楽的なエッセンスを嗅ぎ分け技術者として楽器に手を加えていく。彼自身常に変化していく音楽(それはまるで変わりゆく季節のように、まるで流れる川のように動き変化していくもの)を追求し続けているのだ。これをこうしたけれど弾いた具合はどうだろう、と「随時」聞いてきてくれる。時にその変化に乏しいことを伝えても表情を変えず、その視線は「音楽」に向いている。そして最終的に結果を出してくれる。こういう気持ちだってあるかもしれないし、ないかもしれない、それはわからないが「このピアノにそれは難しい」「このピアノにはこれが限界」「仕方がない」と口にすることは一度もなかった。言いそうになる雰囲気さえも。ピアニストも同じく「この、今目の前にあるピアノで音楽を表現しなくてはならない」。楽器のせいにできないのだ。例えそれがボロボロのコンディションであっても。最後まで音楽を作り続ける情熱の灯火を消してはいけないんだ。
調律師×ピアニスト、両者の魂は必ず音に宿る。
そんな素敵な人と仕事を共にできて本当に幸せだった。
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