木漏れ日の下で

ピアニスト 末永匡 オフィシャルブログ

受け継がれているもの

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100%じゃなくていい。けどピアノ弾く時にいつも”少し”気にかけておいて。それが後で実を結ぶことになるから。」その言葉で今日のレッスンは幕を閉じました。

 

一音の軌跡にずっと耳を傾けると色々なものが聴こえてきます。物理的な音だけではなく、もっと様々な"何か"。

 

「記憶が聴こえてくる」こんな言い方も、その一部なのかもしれません。

 

静寂が支配するアトリエの中で二人。一つの音一つの和音に何が在るかを確かめるように耳を傾けた、なんとも沁み入るような時間でした。その積み重ねが音楽となるのです。

 

少しずつ変化していく生徒の音にこちらもグッと力が入ります。時に答えに困るような、時に解らず答えられないような質問を投げかけてくれるのもまた嬉しく。そのような興味、意識の高さにさらに嬉しく。

 

改めて僕はレッスンという時間が好きなんだと感じます。そういえば以前武蔵ホールので公開レッスンが11時間あったっけ。(あれ、12時間だったかな?)聴講された方の中にはブランケットを持参し初めから最後まで聞いてくださっていたなぁと懐かしく。

 

多分に僕自身が今は亡き恩師たちとのレッスンという時間が本当に充実していたからでしょう。先生たちとはピアノだけに限らず、音楽全般について、芸術について、音そのものについて、人の心について、文化、社会、哲学、楽器、歴史、音楽以外の芸術、表現、身体、テクニック、生き方など、他にも本当に多くのことをレッスンを通して学びました。そして先生の先生たちについてのこともたくさん語ってくださいました。「受け継がれているものがある」のだと歳を重ねるごとに強く感じます。

 

生徒が弾いてくれたチャイコフスキーの幸せに満ちた音楽がずっと頭の中で鳴っています。