木漏れ日の下で

ピアニスト 末永匡 オフィシャルブログ

音楽を導き、世界を創造するベヒシュタインというピアノ


所沢市民文化センターミューズ「マーキーホール」

先日、所沢文化フォーラム主催「末永匡ピアノリサイタル」を終えました。1つ1つが手作りで温もり溢れるコンサートは所沢テイストと言えるかもしれません。コンサート会場は所沢市民文化センターミューズのマーキーホール。800の席数の割に距離が近く感じるのが特徴です。所沢という場所(そこそこ気軽に都内へ出れる)ゆえにありそうであまりない地元でのコンサート。スタッフの情熱によって支えられた企画であり、その後ろ姿に身も引き締まる思いで舞台に立たせて頂きました。

ミューズは全部で3つのホール(キューブ、マーキー、アーク)があるのですが、今回のコンサートで全ホールでの演奏を達成したこと、そして地元であることに格別思いもこみ上げるわけです。


調律師の加藤正人氏と

さて、もう一人の主役は楽器を第一回の時から提供くださっている「(株)ユーロピアノ」​​様。ベヒシュタインピアノと、それに命を宿す調律師の加藤正人氏。「楽器と技術者と演奏者」の三位一体で創られる「音」。何度もコンサートでご一緒させて頂き、耳を傾け、言葉​​を重ねては多くの時間を共有した調律師の加藤正人氏、そしてベヒシュタインピアノ。

BechsteinD282

使用した「BechsteinD282」は数年前に東京芸術劇場東京都交響楽団ベートーヴェンピアノ協奏曲第5番「皇帝」を演奏した際に使用した以来の久しぶりの再会。日本にはまだ1台しかなく当時、協奏曲で使用されたのも日本では初めてでした。オーケストラも指揮者も観客もBechsteinD282で演奏された皇帝の「響き」を初めて耳にしたわけです。普段よく耳にしている響きと違うもので困惑された方々も多かったと聞いています。「違うもの」を味わえる、楽しめる「心」、そのきっかけを今の日本に与えてくれるベヒシュタインというピアノ。ドビュッシー、リスト、スクリャービン、ビューロー、フィッシャー、ギーゼキングリヒテルバックハウス、ケンプ、ゼルキン、カツァリス、シフなど、簡単に思いつくだけでも錚々たる名前が挙がるベヒシュタインを愛した偉大な芸術家たち。

リハーサルの音創り

今回の音楽的な面は「ベヒシュタインに支えられた」の一言に尽きます。均一化されていない各音域は様々な音色を与えてくれます。しっとりとレガートを効かせるクラリネット、キラキラと遠くから聞こえてくるフォルテピアノを彷彿させる高音域、人の声のように語るチェロ、全体をそっと支えるティンパニなど、それはオーケストラの様。タッチを変えればもっといろんな楽器が現れ、自然を感じる音も聴こえてくる。あまりにも繊細な音色は豊かで多様な想像の世界に僕らを簡単に連れて行ってくれる。そして、綺麗な音だけでなく「耳を塞ぎたくなる様な雑味を帯びた音」「何も表現されていない無機質な音」などその幅がとにかく広い。美音だけでなくその反対も表現の中には必要です。

今回のコンサートで「楽器との対話」を強烈に感じました。「おいおい、まだやれるぞ?もっといろんなタッチで弾いてみろ、俺が出してやるから」という反応を楽器から「本当に」感じました。熱情の最後は演奏者側が興奮して弾いていてもどこかでドンと構えて「もっと来い!」と言ってきた感じもあります。となると自然と笑みがこぼれるわけで…(笑)リストのオーベルマンやバラードはもはや指揮者になる感覚にも。そこに他の楽器はいないのになぜかそっちから聞こえてくる感覚になり、顔を向けていたり。楽譜に記されていることを弾いているのですが、同時に音楽が「即興的に」生まれてくるのです。練習していたのとは全く違う姿で…

ショパンシューマンなどで印象深かったのは「弱音」。「限界に挑戦」という浅はかな気持ちではないのですが、やはり反応してくれる楽器だと響きのさらなる細部まで手を伸ばしたくなります。ベヒシュタインにおける弱音の世界はもはやオリジナルの世界が創られています。僕が弱音を出すのではなくて、導かれるかの如く弱音が生まれるのです。

また、何よりも驚くのは800席あるホールの3階最深部までその弱音が「響きを損なうことなく」行き届くこと。空間と楽器の相性があるのもポイントです。所沢ミューズ「マーキーホール」はベヒシュタインが最高に合っていると言えます。以前世界的ピアニストのリフシッツが、今回使用した同じピアノBechsteinD282を使ってバッハの平均律全曲演奏会をした時も聴衆側にいた僕は同じ感覚を抱きました。本人は神経質になっていたと終演後楽屋で話した時に言っていましたが。マーキーホールは基本的に演劇用なので響きが若干少なめですが、だからこそ楽器の持つポテンシャルが発揮されるのかな、とも。絶妙に音色の細部まで裸にされたものが客席に届く空間、しかし演奏者側にしてみるとある意味怖いことでも…。

最後に、誤解も招かないためにもこれだけは特記したいと思います。全てのピアノがベヒシュタインになってしまうと、それはそれで面白くありません。「多種多様のメーカーに触れられる環境、響きを体感できる環境」それが音楽をさらに面白くしてくれるのです。いつも同じメーカーで同じ響きを聞きたかったらCDを聞いていればいい。確かに演奏者だけでも変わると、同じピアノでも信じられないくらいに音楽が変わります。しかしそれだけではありません。そこにもう2つの大切な、大切な存在が音を創っているのです。「楽器と技術者」です。彼らも同じく「音楽芸術の創造を担っている」のです。

「多様性の中にこそそれを感じ取ることのできる心が育まれる」そんな言葉を思い出しました。

ベヒシュタインピアノ、今回僕らはどれだけの言葉を交わしただろうか。楽器に感謝し、技術者に感謝、企画してくださった関係者に感謝して、ご協力くださった方々に感謝、多くのお客様に感謝し、「感謝に溢れる時間」を地元で持てたことが本当に嬉しく思います。本当にありがとうございました。