木漏れ日の下で

ピアニスト 末永匡 オフィシャルブログ

ピアニストから見たNo.9-不滅の旋律

台本
これはあくまでも末永という1人のピアニストが思い、感じたことです。

あの舞台が終わってから3週間が経った。今でも目を瞑るとあの時の興奮が蘇る。稽古を含め約2ヶ月半。「長かったかもしれないが短かった」とも言えるし、「あっという間だったが長かった」とも言える。ようやくこのことについて書けることに嬉しく思う。舞台が終わってから今日までコンサートとレッスンなどであっという間に時は過ぎてしまった。今は大阪でのソロコンサートを終えて東京に向かう新幹線の中。窓の外は時々見える街の控えめな明かり以外何も見えない。ずっと写っているのは窓を見つめている自分。その表情は満足している感じとは言えない。けれど疲れている感じでもない。思うことがあり何か言いたげ、そんな目をしている。って自分のことを書いてて恥ずかしいけれど。

さて、普段僕はコンサートを中心にレクチャー、音大、講義、執筆などで活動している。今回のような舞台の仕事はこれまでしたことがなかった。要するにNo.9は僕にとって初めての舞台の仕事だったということだ。

やる事なす事全てが初めての経験だった。「なぜ舞台関係者は何時に会ってもいつも"おはようございます"なのだろう?」これが初めに思った疑問だった。この疑問はもちろん今もなお腑に落ちるところまで解決されていない。しかし不思議なものだ。その場にい続けると自分が時間に関係なく普通に「おはようございます!」なんて言ってる。

Ludwig van Beethoven

舞台のテーマはベートーヴェン。そう、日本全国の小学校の音楽室に貼ってあるあのベートーヴェン。(全ての小学校かどうかは正直わからない)あの険しく鋭い眼光で教室を見渡しているあの彼。ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン

ベートーヴェンの第九を軸に様々なドラマが繰り広げられていく。脚本は中島かずきさん、演出は白井晃さん、そして音楽監督は三宅純さん、キャストは稲垣吾郎さん、大島優子さん、高岡早紀さん、長谷川初範さん、田山涼成さんを始め、全15名の錚々たるメンバー。

ピアノはバンダでもなくオケピでもなく、舞台下手に2台上手に1台のアップライトが置かれそこで演奏する。当初はどんな感じになるか皆目見当つかなかったが、毎日の稽古の中で少しずつ試しながら作り上げられてきた。

稽古は本当に貴重な経験だった。白井さんの投げかける言葉、行動、導き方はまるで指揮者のようであり、クラシック音楽のリハーサルを見ているようでもあった。「創ること」…そこには芝居だの音楽だの、その差は存在していなかった。また、美術や舞台スタッフ、制作の方々のことも注視し、耳を澄ました。動き、言葉掛けなどあらゆる事が、大きな歯車を動かすことのできる高品質の潤滑油のようだった。だからこそ僕は耳と目を最大限に集中し、学べるものは全ての学んでやろう、そんな気持ちで臨んだ。結果から言うとその姿勢は正しかったと言える。あまりにも、あまりにも多くを学んだ2ヶ月半だった。

…なぜ今、舞台のことを書こうと思ったのか。それは一ピアニストととして活動している中、No.9の仕事は新鮮だっただけでなく、ある意味不思議な立ち位置として僕の中に存在しているからである。



…No.9は終わった。


…しかし本当に終わったのだろうか?





……


………


思い浮かぶ言葉に素直になって記したい。

No.9は終わっていない。始まってすらいない。いや、もう少し正確に言えば、すでに始まっていたことであり、それはまだ続いている、と言える。

「喜劇は終わった。だが音楽は終わらない」

この言葉は僕にとって正に今回の舞台の代名詞になっている。「ベートーヴェン」という子供の頃から常に一緒だった作曲家、音楽。それは僕が死ぬまで共にあり続けるだろう。そして今、僕は舞台の有無に関係なくベートーヴェンに取り組んでいる。要するに、今回の舞台は僕にとって「すでに始まっていたベートーヴェンの取り組みの中に含まれているもの」なのだ。「あらゆる角度から人物や作品を覗く」この姿勢は研究にとってとても大切である。今回の舞台は仕事の種類で言えば初めてだったが、ベートーヴェンの研究というところから見れば「その方法の一つ」ということになる。

だから今、舞台が終わり3週間経った今でも「あー舞台が終わった!」と感じていないのだろう。実際に舞台を終えても僕はベートーヴェンソナタを練習し、コンサートでも弾き続けている。始まりも然り。舞台稽古は新鮮だったが、その中で楽譜を見て演奏する作業、芝居の空気を感じて共演すること、まるで普段のリハーサルと全く変わらないその作業は「何かが新たに始まった」という感じではない。お陰で僕はとても自然体にこの仕事に取り組むことができた。

そして、さらに自然体にさせたのはこの言葉だった。

「BGMのように弾かないでください」

もちろんBGMはBGMとしての役割があり僕はそれをリスペクトしている。しかし、今回演奏したベートーヴェンピアノソナタ。その音楽を知れば知るほどBGMとしての機能を果たさないことを痛感する。音楽にあまりにも多くを含んでいるのだ。要するに「一つの台詞」として存在してしまう。時にキャストとの共感の元で演奏されるが、音楽的主張、表現も強く要求される。

ピアノを舞台上に置いて演奏させる演出はその辺の意味も含んでいるのだろうか…?

普段のコンサートでは、ピアノは舞台中央に置かれ1人で2時間程度演奏する。よってNo.9でも舞台上に置かれ演奏し、思い切り表現するアプローチはある意味(さすがに舞台上手で弾いたことはなかったが)通常に近く僕にとってはやり易かった。

さて、長くなってきたのでそろそろ終わりにしたい、しかし色々と思い出してしまう…

稽古中、ベートーヴェンピアノソナタ「告別」を弾いてる時、白井さんが芝居の説明をしながら僕に指揮をして演奏を導いてくれたあの瞬間は忘れられない。白井さんの表情はもはや演奏家の表情でもあった。その瞬間周りは見えていない。しかし音楽、感情の中に身を投じそこでは様々な何かが見えている。彼はそこに居た。そんな表情を見せられながら指揮をされるとこちらも気持ちが盛り上がってくる。白井さんと僕の間に存在していた感覚はピアノ協奏曲のソリストと指揮者のそれと酷似していた。「共演」である。

様々な音風景を作り出し、柔軟なアイデアを提案してくれた三宅さんにも脱帽である。僕のようなクラシックを学んできた人間に多くあるのが「気付かぬうちに固まる概念」である。「〜であるべき」「普通ならこう」みたいに。三宅さんに提案された3台のピアノでの役割分担は、僕にとっては驚きと刺激に満ちていた。皮肉なものだ。ベートーヴェンは新たな時代の扉を開くべく、当時革新的な音楽を作り続けていたのに、それを勉強している僕は逆に頭でっかちになり固まってくる。また、三宅さんの温かで、時として勇気をもらう言葉にどれだけ支えられたか。稽古に三宅さんが来ると親がいてホッと子供のように落ち着く自分が居たのも事実。

中島さんは、東京公演千秋楽後の打ち上げでベートーヴェンについてじっくりお話しさせて頂いた。彼のベートーヴェンについての知識は半端じゃなかった。音大で講義してほしいくらいだ。これは決して過言ではないと断言できるのは、No.9不滅の旋律は、彼の知っている、感じているベートーヴェンの世界のほんの一部に過ぎないこと。だからだろうか、あの台本の奥深さ、説得力、含まれてい様々な複雑な感情。記されている台詞は何倍もの含みを有している。

そして、キャストの方々ともいろんな言葉を交わした。とにかく出来る限りのコミュニケーションを楽しんだ。

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最後に、以前ツイッターでも投稿した「No.9の隠された小ネタ」について。

ベートーヴェンがピアノの鍵盤を弾いてあーでもない、こーでもないのやってるシーン。そこで僕が担当している2つのピアノ。1台目は普通の和音を弾いてるが、2台目。小ネタを入れたのはそこ。
そこで僕は「右手の高音域でレファミ」と(2回確認してるように)弾いてるが、それはベートーヴェンピアノ協奏曲第1番ハ長調の中に一瞬出てくるパーセージ。本当に一瞬。1秒くらいだろうか。

しかしベートーヴェンは本当は「ファ#」を使用したかった(と言われている)。けれどそこがなぜ普通の「ファ」なのだろうか?それは鍵盤がファまでしかなかったから。曲が進み、後でもう一度同じ音形が出てくるが、その時はレとファ#の「音程幅」になっているが、変調し低くなっているので音が変わり、有る鍵盤で演奏可能。

そして、舞台開演直後流れていた交響曲は第1番、その時のプログラムはピアノ協奏曲第1番も演奏されていた。(記録に残っている)

あの時ピアノを調べていたのは、そのコンサートの翌日ということになっている。ベートーヴェンは本当はファ#を欲しかった。そしてピアノ工房にいたナネッテにこう言う。

「もっと音域の広いピアノはあるか?」と。

…そんな小ネタを入れた末永です。お許しください。中島さんには東京千秋楽後、ベートーヴェンとヨゼフィーネには小倉大千秋楽前夜にお伝えしました。

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僕にとって始まりもなく終わりもないNo.9-不滅の旋律-。それは僕にベートーヴェンをもう一度見つめ直し、進め、続けていこうと再度決意させてくれた。

あまりにも多くを学んだ今回の経験。全てがかけがえのない宝物。今ここにもう一度心から感謝したいと思う。

No.9-不滅の旋律-に関わった全ての人たち(仲間)に

第九直筆譜

舞台の最後ベートーヴェンが情熱的に指揮をしていたのを思い出します。ベートーヴェンは赤鉛筆で「f(強く)」と何度も書いています。
それだけ思いが強かったのでしょうか・・・